カタカナ補完

このウェブサイトでは,日本語のカタカナの補完を試みています.私は,言語学や日本語学の専門家ではなく,いち工学者(心理統計学者)ですが,日本語(カタカナ)がより便利な言語体系であるようにと願って開設しました.

本サイトで主張されている内容は,私個人の見解であり,私の所属するいかなる組織の見解とも無関係です.

動機

カタカナの主要な役割は,外来語・外国人の人名・外国の地名などの「音を示す」ことである.しかし,カタカナには「音を示す」という目的があるにもかかわらず,その目的を十全に果たせていない.そのことについて端的に警鐘を鳴らすコラムが平成182006)年の85日付け朝日新聞に掲載されているので転載する.

H18/08/05朝日新聞コラム

私の視点:カタカナ表記「オシム」は「オスィム」だ

盛田常夫氏(ハンガリー立山研究所所長)

ここ数年、ハンガリーの学者や実業家を紹介した書物の翻訳を行っているが、人名のカタカナ表記に頭を悩ませている。ハンガリー人物理学者スィラードは「シラード」と表記される。「ス」と「シ」、あるいは「テ」と「チ」の音が区別されず、「シ」や「チ」に一括されてしまう。しかし、「ス」と「シ」の音を取り違えると、発音している言葉が理解されない。例えばsiliconは「スィリコン」であって「シリコン」ではない。Brazilは「ブラズィル」であって「ブラジル」ではない。「スィ」が「シ」に、「ズィ」が「ジ」に一括される。この発声も外国では通用しない。「ス」と「シ」の音の無分別は、日本人の外国語能力の評判を落としている原因の一つだ。

名前を間違って発声されて気にならない人はいない。原語の発声になるべく忠実に人名を表記するのが世界標準だ。これにならえぱ前サッカー日本代表監督Zicoは「ジーコ」でなく、「ズィーコ」または「ズィッコ」とすべきで、新代表監督に決まったIvica Osimは「揖斐茶・惜しむ」でなく、「イヴィツァ・オスィム」である。しかし国際化時代の日本人の語学力向上のためにも、まずカタカナの慣用表記の見直しが先決ではないか。外来語や人名のカタカナ表記に、もっと繊細でありたい。

盛田氏は,「名前を間違って発声されて気にならない人はいない」と述べている.私も職業柄,海外で学会発表することがある.私の名前は荘島宏二郎(Kojiro Shojima)と言う.英語の話者であれば,変なアクセントであっても「コジーロ ショジーマ」などと呼んでくれる.あるときイタリアの学会に行って座長のオランダ人学者に紹介された.オランダ語では「j」は/y/と発音される.したがって,「コユィーロ ショユィーマ」などと紹介された.気分が悪くなりはしなかったが,名前はちゃんと呼んでほしいと思ったものだ.そのような気持ちを日本人に呼ばれる外国人はほとんど感じていることだろう.むろん,そのオランダ人が悪いのではないし,非常に読みづらそうだったので逆に気の毒になった.

日本語の音声学的表現力

私も,子ども時代に疑問を抱いた.「サ」という口の形を保ったまま,「アイウエオ」と発音すると,「サシスセソ」にはならないで,「サ スィ ス セ ソ」になるのはなぜだろう.あるいは,「タ」という口の形を保ったまま,「アイウエオ」と発声すると,「タ ティ トゥ テ ト」となっても,「タチツテト」にはならないのはなぜだろう.このような疑問をもったのは私だけではないだろう.このことは,ローマ字表記してみると一目瞭然だ.「サシスセソ」は/sa shi su se so/とローマ字表記できるが,「シ」は,音声学的には「シャ行」の「シャ シ シュ シェ ショ」のイ段に配置されているほうが収まりがよい.すると,ローマ字表記では/sha shi shu she sho/となり,子音が/sh/で統一され,母音の/a i u e o/が変化していることになる.また,「タチツテト」における「チ」は/chi/と発音するので,「チ」は「チャ チ チュ チェ チョ」/cha chi chu che cho/のイ段に配置するほうが収まりがよい.すると,チャ行は/ch/を子音とし,母音/a i u e o/をもつ行になる.その法則に従うならば,同様に,「ツ」は「ツァ ツィ ツ ツェ ツォ」/tsa tsi tsu tse tso/となる.つまり,日本語には/si ti tu/を単独で表記するカタカナがない.ひらがなもない./si ti tu/を我々は「スィ ティ トゥ」と表記する.ただし,上述の盛田氏の記事のように,書けるからといって,多くの人がそのように書いているわけではない.ジーコ監督をズィーコ監督あるいはズィッコ監督などと書かれているのを見たことがない.書かれているのを見たことがないから,そのように読まれているのも聞いたことがない.

なぜ,日本語の発音は貧しいといわれるのか.たとえば,英語と比較しても/l f v th/などの発音が日本にはない.したがって,それらを表すカタカナ(ひらがな)もない./si//ti/は,を「スィ」や「ティ」などと書けばよい.しかし,/la/はどうだろう.日本語では,/la//ra/も同じく「ラ」である.つまり,/la li lu le lo//ra ri ru re ro/は区別しないで,等しく「ラリルレロ」である.「thank you」や「think」などの/th/も対応する日本語の発音記号(カタカナ,ひらがな)は完全にない.「サンキュー」や「シンク」などと書くしかない.

日本語で必要とする発音の数は少ない.このことは日本語の欠点というよりも特徴といったほうが正しい.しかしながら,おそらくはそのために,日本人は,外国語を発音することが非常に苦手になっていることは動かしがたい事実だろう.